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入門講座 第1課

第1課 人を生かす宗教、殺す宗教

日本の教育が長年にわたって
宗教を軽視してきた結果が、
今のこの社会なのではないでしょうか。


宗教はこわい?
 近年宗教はこわいと思っている人が増えているのではないでしょうか。地下鉄サリン事件にしろ、ニューヨーク世界貿易センター自爆テロにしろ、ある宗教 を固く信じる人々が引き起こした無差別殺人事件だと報じられたからです。
 キリスト教、イスラム教、仏教などの本来の教えが、このようなテロ行為を容認しているはずはありません。しかし人間は宗教の名において、多くの血を流してきました。宗教がからむ戦争においては、いずれの側にとってもそれは常に「聖戦」でした。宗教を信じる人は、当然、自分の信じる宗教の教えが正しく、自分にとって最善のものだと信じていることでしょう。
 しかし、人間が学ばなければならないことは、他の人は、その人にとって最善と信じる別の宗教を信仰する自由と権利を持っているということです。排他的な、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教など一神教が問題だという人がいますが、こわいのは宗教ではなく、自分の信仰を絶対化し、それを他に強制しようとする人間の自己中心的な、不寛容の精神です。日本においては、寛容であるはずの多神教神道を信じる人々や仏教徒が常にキリスト教徒を迫害し、そればかりかアジアの人々に自国の神の参拝を強要した歴史を忘れてはなりません。
 信じる対象は絶対の存在だとしても、それを信じる人間は、しょせん、限られた知識と理解しか持ち合わせない相対的な存在に過ぎません。絶対の存在を信仰する者こそ、むしろ自分の立場や信念を絶対化するあやまちをまぬがれさせる謙虚さを身につけることができるはずではないでしょうか。

無宗教の人間こそが正常?
 日本は、大人も子どもも宗教を信じないことが正常と考え、それを誇りに思う者が多い、世界的に見てユニークな国だそうです。宗教を信じないということは、人間を超えた存在とその権威を認めないで生きるということですから、一番えらいのは人間で、人間が世界の中心ということになります。その人間ほど、同じ仲間を大量に殺す動物はいないというのですから大変です。
 本能で生きる動物と違って、人間は何事も新しく学習しながら生きていかなければなりません。そこで重要なのは教育ですが、危機に瀕しているといわれる日本の教育の現状を打開するため教育改革国民会議が結成されました。同会議の報告書が2000年12月に出されましたが、「いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊、凶悪な青少年犯罪の頻発など教育をめぐる現状は深刻であり、このままでは社会が立ちゆかなくなる危機に瀕している」と指摘しています。
 従来の教育は、日本の経済発展の原動力になってきたかもしれないが、善悪をわきまえる感覚や、他人への思いやりのある人間性を育ててこなかった反省が述べられています。学校は道徳を教えることをためらわず、中学、高校に「人間科」「人生科」などの教科を設け、そこでは、死とは何か、生とは何か、人間として生きていく上での基本の型を教えるように提案しています。
 今までも道徳の時間が設けられていなかったわけではないのですが、多くの学校でその時間は他のことに振り替えられてきました。受験教育しか受けてこなかった教師自身がどう教えてよいかわからないからでしょう。また同報告書は、宗教を人間の生き方の深みにかかわるものとしてとらえ、宗教が長い年月を通じて蓄えてきた人間理解、人格形成の方策についてもっと教育の中で考え、宗教的情操をはぐくむ必要があると訴えています。
 「人を殺したらどんな感じがするか試してみたかった」と殺人の罪を犯した少年が自白したということです。子どもが平気で見知らぬ人のみならず、友人、教師、親を殺害する社会になってしまいました。「なぜ人を殺してはいけないか」と生徒に聞かれてある教師は答えに窮したといいます。人間を越えた存在であり、すべての生物にいのちを与えたつくり主に対する畏敬の念を持たない者に、人のいのちの尊さを教えることは容易ではないでしょう。日本の教育が長年にわたって宗教を軽視してきた結果が今のこの社会なのではないでしょうか。
なぜ宗教はなくならない?
 19世紀のドイツの哲学者ニーチェは「神は死んだ」と宣言し、人間の理性や科学の進歩を神の座に据えました。また同じ頃カール・マルクスはその唯物史観に基づき、プロレタリア革命によって共産主義社会が実現すれば、宗教は不要になると考えました。しかし消滅したのはむしろソ連邦や東欧の共産主義社会の方でした。ロシアや東欧の共産主義の国々のみならず、中国やキューバでも教会は生きる意味と救いを求める人々であふれています。
 キリストは「人はパンのみで生くるにあらず」と言われましたが、人間の心には衣食住によっては満たされない心の飢えと渇きがあります。聖書の中には「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」という言葉がありますが、限られた生を自覚できる人間には、生の意味と死を超えた永遠を慕い求める心が神によって与えられているのです。
 古代の思想家アウグスティヌスはその著『告白』の中で、「人は神に向けて造られており、人の心は神に憩うまでは安らぎがない」と書きました。また数学者であり、哲学者であったパスカルは『パンセ』の中で「人の心は神によってしか満たされない空洞が空いていて、神以外の何者をもってしても満たすことはできない。神によって空洞が満たされると人は生きる」と書いています。

祈り

神さま、あなたが私の中に永遠を思う心を
与えてくださったことを感謝いたします。
自分を超えた存在であるあなたを
よく知ることによって、
謙虚さと、つつましさを教えてください。
あなたについて、
より深く知ることができますよう
お助けください。